目指すべきもの
第985話 自分を律すること
おはようございます。
皆さん、今日もお元気ですか。元気な気持ちは、健康の源です。今日も一日、張り切って楽しく過ごしましょう。
規律というのは、規則を定めて、それに従うことですね。辞書によると、規則までは定めないけれど、ある基準に基づいて判断し、それに従うことを"律する"と言います。
自律するというのは、自分自身が自分の定めた基準に基づいて、自分を律することです。言いかえれば、自分を自分で自己コントロールすることです。皆さんは、自分を律することができますか。中々難しいですよね。
人間は弱い存在ですから、欲に負けたり、他人のせいにしたりと、ついつい自分に嘘をついてしまうことがあります。私のような凡人は、自己をコントロールすることほど、難しいものはありません。自己中心に考えてしまうものなのです。
私たちは、誰でも完璧な人などいません。どんなに自分を律していると自己評価しても、神でもない限り、完璧な人はいないのです。だからこそ、ある人は自分を正そうと宗教を信じたり、ある人は哲学を勉強して、少しでも律しようとするのでしょう。
それほどまでに自分を律することが難しいのに、なぜ人間は、他人に対し律することを求めてしまうのでしょう。
例えば、自分も時々遅刻してしまうのに、自分の部下が遅刻したからと言って、他人を律することなどできるものでしょうか。なぜ、他人のミスばかりが目についてしまうのでしょう。なぜ、他人の短所が許せないのでしょう。
ついつい悪いところばかりが気になって嫌気をさしたり、自分にも落ち度がありながら、他人のせいにしたがるのはなぜでしょうか。それほどまでに自分は完璧なのでしょうか。それほどまでに、私たちは、自分を律しているでしょうか。
人間は弱い存在です。私も弱い人間です。私は、とてもとても自信を持って自律できているとは言えません。だからこそ、人の悪口を言ったり、短所や欠点ばかりを気にしないように努めなければならないと思っています。できるだけ長所を見るように努めなければならないと思っています。
自律できていないということは、言い換えれば他人に依存しているとも言えるのです。ここで言う依存とは、単に他人に委ねて頼っているという意味ではありません。他人に助けられているという意味です。
自律できないのですから、助けられているのは当然です。どんなに他人には頼らないと強気になっても、人は一人では生きていけないのです。私のように自分を律することができないのであれば、せめて人を大切にしなければならないのでしょう。
私は立派な人間ではありません。ですから、他人から助けられて、それ以上に助けてあげたとしても、まだまだ足りないくらいだと思うのです。その気持ちがなかったらとても自律などできるはずがありません。
私は、そのように私自身に言い聞かせています。
感謝。2011年11月15日